農林水産で働いていた時期 ( 平成5年(1993)~平成21年(2009))

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●1993年 農林水産省入省(水産庁漁政課配属)

●1994年 農村派遣研修で島根県隠岐群隠岐の島町(旧西郷町)
(半農半漁の集落に住み込み、稲刈りとイカ釣りの日々でした。)

●1994年 水産庁に戻る
(政策保険「漁業共済」の制度改正チームで役所に寝泊まりしていました。)

●1995年 構造改善局農政部
(農業農村整備事業の法制面を担当していました。農村の地域計画にかかわる仕事でした。)

●1997年 農蚕園芸局
(日本の植物防疫の「りんごの品種別検査」がWTOに提訴された事案で防戦に努めました。)

●1998年 ジョージタウン大学政策大学院留学
(アメリカ・ワシントンDC。クリントン元大統領の母校です。アメリカの国内政策を学び 政策学修士号(MPP)を頂きました。)

●2000年 構造改善局農政部管理課 課長補佐
(「土地改良事業」に環境調和要件などを入れる法改正に没頭しました。諫早湾干拓地のアシの湿原なども一例です)

●2001年 農村振興局土地改良企画課 課長補佐
(議員立案「自然再生推進法案」の企画チームで「ホタルの飛ぶ川」を目指して奮闘しました。)
※この頃、中高生向け「なるにはシリーズ」の『国家公務員になるには』で現職国家公務員のトップバッターとして紹介されました。機会があれば書店・図書館でご覧ください。

●2002年 環境省自然環境局カルタヘナ議定書国内担保法制定準備室 副室長
(遺伝子組換え生物の影響を評価し、適切な規制を課す国内法の仕組みを考え、法案を作りました。まったく新しい分野の法案を作るのは実にたいへんです。)

●2003年 大臣官房国際部貿易関税課 総括課長補佐
(農林水産物の輸出促進体制を立ち上げました。理解者が少なかった当時に比べ、 現在の状況は隔世の感があります。)

●2003年 大臣官房国際部調整課 
(日本にとって農林水産物を含めた初めてのEPA「日本メキシコEPA」の締結日韓EPA の立ち上げにかかわりました。日韓EPA交渉が進んでいないのは残念です。)

●2004年 大臣官房国際部国際調整課 総括課長補佐
(WTOドーハ・ラウンドに文字通り寝食を忘れて取り組みました。24時間ずっと席にいるので「風呂屋の番台」と言われていました。「通商交渉ってこんなものなのか」と国内報道との違いを痛感した時期でした)

●2006年 大臣官房国際部国際政策課 国際専門官
(国際担当次官である農林水産審議官の秘書官として国際政策全般をみていました。)

●2006年 日中韓次世代リーダーフォーラム2006参加
日中韓3カ国から、30~40歳代の国家議員・官僚・経済人・学者・ジャーナリスト・NGOの6分野1人ずつ、計18人が参加するもの。2002年からほぼ毎年実施。 朝から晩まで缶詰で(夜はお酒を片手に)「北朝鮮」「東アジア経済統合」「竹島(独島)」「歴史感」などを議論し、各国によき友人を得ました。)

●2006年 生産局畜産部牛乳乳製品課 課長補佐
牛乳やバター・チーズ・ヨーグルト・アイスなどの製造・流通・消費を担当し、給食や食育にもかかわっていました。この時期、バターがスーパーの店頭で品薄になったこと、深くお詫び申し上げます。

●2008年 大臣官房秘書課 課長補佐
新規採用・中途採用などを担当していました。理想に燃える多くの若者に出逢えました。)

●2008年 大臣官房文書課 総括課長補佐
法令審査官を束ねて国会提出法案の取り仕切りをするとともに、大学時代からのテーマでもある。地方分権の担当として全力投球しました。)

●2009年 大臣官房政策課 首席政策調整官 兼 農林水産省改革推進室長
(前職でも不祥事が相次ぐ農林水産省の組織改革にかかわっていましたが、担当室長の栄転で後を引き継ぎました。)

●2009年 11月農林水産省を辞職